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2006.09.06

戦跡をめぐる

沖縄といえば太平洋戦争で激しい地上戦があった。
「装備が同じなら日本軍が勝っていた」と米軍に言わしめた日本軍の士気と練度は相当高かった。
沖縄での戦闘を指揮した太田実少将(死後中将に特進)が、戦闘末期に打った玉砕電文「沖縄縣民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」は私の心にいつまでも残る。
豊見城村にある旧海軍司令壕に残る太田少将が自決した司令室は重い。
手榴弾の弾痕と辞世の句が残る部屋に入った私はしばらく動けなかった。

やっぱり沖縄に来たからには過去にも目を向けなければ。
沖縄戦に限らず太平洋戦争で日本は国家総動員をかけて戦争遂行に当たった。
今の気象庁は、戦争中軍隊に組み込まれ戦時体制で気象通報を行ったと言う。
沖縄でもそれは変わらず、沖縄地方気象台の職員は否応無く軍に組み込まれ、そして戦争に巻き込まれる。
琉風の碑という、殉職した気象台職員の碑が超メジャーなひめゆりの塔の近所に立っている。
Ryuuhuunohi
各地から避難してきた職員たちは、この碑の裏で米軍の艦砲射撃から身を潜めていたと言う。
碑を振り返ればはるかに海が望める。
60年前、あの海に米軍艦船がびっしりと浮かび艦砲射撃を繰り返していたと思うと身が震える。

しばし黙祷した後、次は沖縄県平和祈念資料館へ。
修学旅行の学生で結構な人だかり。
戦前戦中の資料も興味深かったが戦後占領期の資料はなかなか面白かった。
1972年の沖縄復帰の日、右側通行から左側通行に変更された各地の道路で事故が多発したそうだ。
路肩にひっくり返ったバスの写真もあり混乱ぶりが伝わる。

九州沖縄サミットの際には各国首脳が訪れた平和の礎へ。
Heiwanoisizi
黒い礎には沖縄で亡くなった民間人、兵士が敵味方分け隔てなく刻まれている。
靖国神社もいいけれど、このような施設の第二次大戦版を国立で作るべきだと思う。

夜、なぜか国内なのに免税で買い物ができるDFS沖縄へ。
いったい何税が免税になっているんだろうか…
ぶらっと中を見物し、外に出て前から見たかった場所へ。
DFS沖縄の正面にある給水タンク。
Syugarohu
この給水タンクの立つ小高い丘はかつて安里52高地と呼ばれ、この丘の争奪戦は沖縄戦で最大の激戦と言われた。
この写真を撮った場所と丘との間で激しい戦闘が繰り広げられ、丘は日本軍と米軍とで11回持ち主が変わった。
実際この場に立つと距離が近すぎる。
たぶん歩兵銃でも十分射程距離だと思った。

うーん、今日は重いながらも充実した一日だった。

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コメント

沖縄地上戦のフィルムがTVで参考資料的に流れる事がありますが、日本側撮影の映像が画面に傷が入りまくったモノクロなのに対して米軍側撮影の映像は既に鮮やかなカラーですもんね…このあたりにも既に国力の差を感じてしまう訳ですが…

何故かこの秋から冬にかけて、日本の戦争に関係する映画公開が続くようです。どれか見に行ってみるかな…気が重くなりそうだけど。

投稿: ごしゅりん | 2006.09.08 13:04

日米両方の視点から硫黄島の攻防戦を描いたクリントイーストウッド監督の『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』2作は興味があります。
確かに気が重くなります。靖国参拝に行くより戦跡をめぐったほうが戦争と向き合えますね。

投稿: ごつ | 2006.09.09 11:17

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