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2015年6月

2015.06.14

旧友と横浜めぐり

Yokohamaannnai寝る前にちょろちょろっと某SNSをチェックしていると、以前大阪でお世話になった昔のバイト仲間が横浜でブラブラしてるという情報をゲット。
早速メッセージをやり取りし、会う約束を取り付けた。

で、さて寝るかって時に別のバイト仲間から携帯に着信。
メッセージのやり取りを見ていたらしく、私も混ぜろ、と。

いやすごい世の中になったものだ。
大阪在住の友人が横浜に遊びに来ていることを知って3人で遊ぶ約束を取るまで30分もかからない。

たとえインターネットが発達しても、メールやブログだけの世界だったらこんなことは夢のまた夢だっただろう。

という訳で、翌日に横浜駅で夜中に電話をかけてきた友人を拾い、横浜をぶらぶらしているヤツを探しにまずは山手の洋館立ち並ぶ外人墓地方面にクルマを進める。

どうやらフェリスのあたりを歩いているという。何かの下見か?と思いつつそっちに向かうと、懐かしい姿を発見し、クルマに押し込んだ。

彼も学生時代は川崎北部に住んでいたこともあって横浜なんて何度も遊びに来てたのかと思ったが、当時はどうやらなじみのある街ではなかったとのこと。

そう言われれば同じような所に住んでいた私も学生時代は大黒埠頭あたりには何度も遊びに行っていたが、みなとみらい地区はまだまだ工事中のところが多かったし赤レンガ倉庫は立ち入り禁止。大さん橋だって今の近代的なくじらのせなかに建て替わる前の古いさん橋で今みたいな観光地とは違った雰囲気だったな。

あの頃は中華街はもちろんメジャーだったけど、関内や野毛が今以上に存在感のある街だったね。

という訳で、大さん橋をご案内。
見どころは特にないんだけど…(^-^;

お腹が空いたとのことで何かヨコハマっぽいものを…と悩むが、中華街は昨日食べたというしこれって言うのがなかなか思いつかず。
で、希望を聞くと「何かインパクトのあるもの」とのことで
Huzisanmori味奈登庵ご案内。

私は先日で懲りているので普通盛り。でも初めて頼んだ横浜牛せいろは、お値段1,000円なるも牛すじが贅沢に入っていて食べ応えあり。
友人は富士山盛りに悪戦苦闘しつつ、喜んでもらえたようだ。

味奈登庵にクルマで行く場合、前の道路のコインパーキングがお得だが、1時間以上止めるなら向かいにある県民ホールの駐車場がお得。

味奈登庵で満腹になり、せっかくだからと中華街まで散歩する。
で、2010年に今は無き安楽園に食べに行ったときにチェックした旅館オリエンタルのビル(?)がシートで囲われてるのを発見。
つぶれた?建て替え?いずれにしても気になる…

で、友人がボソッと「本牧の、ユーミンの…」とか言い出した。

はいはい、わかりますわかります。あの米軍根岸住宅を管轄する米軍第5消防署のすぐそばにある、 あの伝説のカフェレストラン「ドルフィン」ですね。

私もこのレストランはもちろん知ってたけど、高校・大学生のころ、いわゆるバブル真っ盛りの時分におしゃれなレストランとして知ったので、値段も高そうだしいろいろな意味でとてもハードルが高いレストランというイメージだった。

というわけで、彼も「一度見てみたい」程度のようだったのでとりあえず向ってみる。

Dorufinいつ前を通ってもやってるんだかよくわからない雰囲気なのだが、今回初めて駐車場にクルマを止め、まじまじと観察。
どうやら営業中で、店の前にあるメニューを見ると「ランチコース」でも2,000円以下。失神するほどは高くない。

意を決して店に入り、コーヒーだけでもいいか聞くと全然オーケーとのことで、彼憧れのドルフィンでちょっと一服。

メニューを見ると、「ドルフィンソーダ ~時と共にソーダ水の中の風景が変わっても、ドルフィンソーダは今でも変わらない~」の文字が。

ユーミン(新井由美時代)のセカンドアルバム「MISSLIM」収録の「海を見ていた午後」はこの店が舞台なのはもう有名過ぎる話。

あなたを思い出す この店に来るたび
坂を上って きょうもひとり来てしまった
山手のドルフィンは 静かなレストラン

ドルフィンのオープンは1971年。
有名な漫画家だった方が始めたレストランだとか。
なんでもレストランを始める時に仕入れの相談に行ったのが横浜中央卸売市場の有名店横浜乾物
ヨコカンの名で親しまれる問屋さんで、私も仕事でさんざんお世話になった店で、なんかつながりが面白いなと。

Sodaやっぱこれだね、とドルフィンソーダを注文。
ソーダ水がテーブルに運ばれると店内に「海を見ていた午後」が流れるという粋な演出が。

晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
ソーダ水の中を 貨物船がとおる
小さなアワも恋のように消えていった

MISSLIMのリリースは1974年。
今とは根岸の景色も大きく違っただろう。

根岸湾が埋め立てられ、当時の日本石油が製油所を完成させたのが1964年。
ユーミンがソーダ水を飲んで恋が泡と消えた時はすでに石油タンクは視界に入っていたはずだ。

Yamate上が1968年、ドルフィンがオープンする直前の根岸で、下が現在の根岸。
米軍第5消防署は今と変わらず建っているが、ドルフィンの前は戸建ての家が立ち並び視界が開けているのが分かる。

今は多くのマンションが建ち、遠くを見ても三浦岬は建物に隠れ、製油所の沖に泊まるタンカーもよく見えない。
当時はまだまだばら積み貨物が多かった時代だろうから、荷役作業で根岸沖に貨物船もたくさん泊まっていたのかもしれないなぁ。

しばし感傷に浸りながら3人で昔話で盛り上がる。
3人が知り合ってもう20年近くたつわけで、あの頃はドルフィンから見えるつばさ橋は無くて、ベイブリッジは開通したばかり。
大黒パーキングは栄華を極め、タイクーンは時代の最先端だった。(今回タイクーンの前を通ったらなんだか閉店の雰囲気だったんだけど、調べたらなんと5月10日に閉店したばっかりだった!)

昔話で盛り上がるのも年を取った証拠みたいでなんだかせつなくもなるけれど、でもそれなりに時を重ねて今があるわけで、過去を共有できる友人がいるっていうのも楽しいものなんですよね。

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2015.06.07

美味しいパン屋さん

横浜市営地下鉄の下飯田駅のそばにカフェのような建物を発見。
こんな何もないところに(失礼)カフェ?パン屋?なんて思いつつ、広めの駐車場に入ってみると
Kafe小麦畑の石窯食堂 Far nienteというお店。
店内にはレストランとパン屋さんが並んでいて、名前の通り大きな石窯もどーんと鎮座している。

パスタやピザが美味しそうなレストランで、これは夜に食べに来たいなぁ、と思って営業時間を確認すると、土日は営業しているもののラストオーダーが17時。

立地や営業時間でなんとなくピンときたが、調べてみたらやっぱり社会福祉法人経営のお店だった。

障がいのある人たちに社会参加を促すためにパン屋やうどん屋を開くのはよく聞く話。
障害者自立支援法には、障害者の就労支援対策として就労継続支援A型とB型がある。

街でよく見かける社会福祉法人の経営する喫茶店などはほとんどが就労継続支援B型で、そこで働く障がいのある人とは雇用契約は結ばない。
賃金はお店の売り上げに応じて支払われるため、時給200円とかが普通になってしまう。

もちろん理想は雇用契約を結ぶ就労継続支援A型ではあるが、雇用契約を結ぶということは労基法に基づいて最低賃金以上の給料を払う必要があるので経営的には厳しくなる。

しかしFar nienteでは障がいのある人たちと雇用契約を結び、最低賃金以上の給料を支払っているとか。

そのためには社会福祉法人の作業所、ではなく普通のパン屋さんとして経営していかなければならず、そこには大変な苦労があると思う。

でも、駐車場は満車だったし店内もお客さんでいっぱい。
うまくいってほしいなと応援したいが、やっぱり17時ラストオーダーは早いなぁ(^-^;

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