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2016.09.24

慰霊

太平洋戦争における沖縄戦の死者数には諸説ある。

平和の礎には24万人余りの名前が記載されている。
この数には沖縄戦で戦死した米軍兵士も含まれており、沖縄県民の死者は軍人軍属を含めて約15万人、一般市民はそのうちの4~5万人と言われている。

東京大空襲の死者が10万人以上、広島長崎の原爆で広島は14万人、長崎で7万人の犠牲者が出たとされる。
一般市民に限った犠牲者数で言えば大きな数字ではないともいえる。
しかし、沖縄県民の犠牲者には現地召集を受けた正規兵のほかに鉄血勤皇隊や日本軍に協力した準軍属も含まれる。

また、連合国の一方的な虐殺ともいえる空爆と違い、沖縄戦では連合国側も1万4千人近い死者行方不明者を出す地上戦が3か月続いたところが大きく違うといえる。

1946年、沖縄戦激戦地であった糸満市に「魂魄の塔(こんぱくのとう)」が建てられた。
Hi戦後すぐに一帯の開墾を米軍に命じられた市民は、周囲に散る遺骨の収集・慰霊を米軍に要請したがなかなか認められなかった。

開墾するたびに遺骨が出てくるため作業が進まず、年が明けた1046年2月、米軍はようやく収集作業を認め、集められた遺骨を埋葬し魂魄の塔が建てられた。

塔にはアメリカ兵も含めた軍民人種かかわらず3万5千柱が納められ、のちに完成した国立の沖縄戦没者墓苑に移されたが、親族がどこで戦死したか分からない遺族が今も塔を訪れるという。

Naiyoのちの「ひめゆりの塔」や「健児の塔」のルーツにもなった塔は、まだまだ暑い夏の暑い日差しの中に静かにたたずんでいた。

屋台で供花を売っていたので、お供えさせていただいた。

Tamesarerudaitiそばにある北霊碑。

太平洋戦争中、沖縄で戦死した北海道出身者33,652名を祀る碑。
うち地上戦の戦没者は10,786名だという。
沖縄戦では北海道出身者が沖縄を除く全都道府県で最も多い犠牲者を出したそうだ。
はるか2,200km離れた北の大地から派遣され亡くなった兵士を思うと合わせる手にも力が入る。

もう一つ、かつて訪れてもう一度行きたかった碑へ。
実は昨年も行こうと思ったんだが場所をよく覚えてなくて断念したので、今年はちゃんと事前に調べて訪問。

Ryuuhuunohi琉風の碑
沖縄戦に巻き込まれ、亡くなった沖縄気象台職員72名を祀ったの慰霊碑だ。

1945年5月下旬、気象台は爆撃を受け壊滅、激戦地となった沖縄南部を陸軍気象隊とともに転戦し、何人もの犠牲者を出しながら6月22日ついにこの碑の建つ岩陰で解散したという。

Umigamieru岩陰から見た沖縄の海。
72年前、ここから見る風景はどんなだったろうか。
6月22日は日本軍の組織的戦闘が終わる直前だ。まだ米軍艦がびっしりと海に浮かんでいたことだろう。

現在沖縄では米軍基地問題など70年以上前の戦争の跡を今に至るまで引きずっている。
海軍沖縄根拠地隊司令官大田少将が海軍次官宛に打った「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という沖縄県民の敢闘の様子を訴える電文を、今になっても重く受け止めなければいけないと思う。

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