旅行・地域

2017.08.27

慰霊碑

日本の航空会社が起こした死亡事故は1985年の御巣鷹山日航機墜落事故が最後だ。

外国の航空会社が日本で起こした死亡事故も、1996年6月に起きた福岡空港でのガルーダ・インドネシア航空機の離陸失敗事故が最後である。

今では少なくなった旅客機の航空死亡事故だが、1966年2月から3月にかけて重大な航空機事故が3つ続けに起きたことがあった。

・2月4日 全日空機が羽田沖で墜落
・3月4日 カナダ太平洋航空が羽田で着陸失敗
・3月5日 富士山付近で乱気流に巻き込まれBOAC機が空中分解

3月5日に墜落したBOAC機は前日に着陸に失敗したカナダ太平洋機の残がいの横を離陸し、富士山中腹に墜落した。

墜落した場所は「太郎坊」と呼ばれる場所で、名前は事故の話で知っていたがどこにあるのかとかはよく知らなかった。

今回上から総火演やろうと地図を眺めていて、御殿場ルート登山口への道の途中に「英国旅客機遭難者慰霊碑」があるのを見つけた。

Ireihi富士山が起こした乱気流に巻き込まれ、空中分解した旅客機がここに墜ちた。

今から半世紀近く前に起きた事故だが、慰霊碑は今でも手入れがされており、とてもきれいだ。
黙とうし、当時よりはるかに安全になった飛行機の陰に少なくない命の犠牲があったことに思いをはせるのであった。

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2017.07.16

海の家

某SNSに、カップヌードルの日清が群馬に海の家を出す、と告知があった。

群馬に海は無いのに、だ。

最近の日清は広告プロモーションがくだらなすぎて気に入っているので、ちょっと遠いが群馬の山奥にある海の家に行って見た。

Gerende場所は川場スキー場。
冬には何度か滑ったことがあるが、雪のないシーズンに行くのは初めて。

Uminoie本当にスキー場のリフト乗り場脇に海の家があった。

Ramen海の家なのでシーフードヌードル群馬パッケージVer.が試食できる。

別に泳げる海があるわけでもなくタダのシーフードヌードルを食べたらやることが無くなったので、吹割の滝へ。

Taki滝のすぐ間近まで行ける吹割の滝、妙に親しみがわくんだよな。

一度も海を見ることなく、海の家に行くたびは無事終了~~

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2017.06.03

初花火

友人に誘われて肉を食べに行ってみた。

横浜市民が肉を食いに行くといえば天狗家かハングリータイガーのどっちかだろう。

というわけで、行ったのはハングリータイガーららぽーと海老名店。

Niku変わらぬ味。
最近静岡のさわやかがSNSなどで話題になることが多いが、なんのなんのハングリータイガーの開業は1969年。
郊外型ファミレスの元祖ともいわれるすかいらーくより1年早く、さわやかより8年早い。

ランチを済ませ、さてこの後どこに行くか… 相変わらずのノープランである。

誰かが「大さん橋に護衛艦来てるな」と。

じゃあ見に行きますか…

というわけで海老名から大さん橋に向かう。
桜木町を通り過ぎるときに
Hanabi花火!!
そこで気付いた。

今日は開港祭だ…!!
だから護衛艦来てたんだ…
横浜市民とはいえ社会人になってから移り住んだ私だと6月2日が開港記念日というのにあまりピンとこない。申し訳ない。

となると大さん橋の駐車場は大渋滞。
入口に並んでるあたりで花火はピークに。

Sukimahanabi駐車場から花火を鑑賞。
広場に上がると、花火が終わったからか観客も減ってきてゆっくり護衛艦が見れた。

Dd110DD110 たかなみ型護衛艦ネームシップたかなみ。通称たかみな。

まあ公開時間もとっくに過ぎ、外から眺めるだけなんですが…

というわけで相変わらずなノープランな一日が更けていったのであった。


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2017.05.04

想い出の地

わたしがスキーを始めて滑ったのは、大学1年生のあの時。
バブル真っ盛りのあの頃、大ヒット映画「私をスキーに連れてって(87年)」の熱気も冷めやらない90年冬だ。

大学の学食には格安バススキーツアーの売り込み営業マンが跋扈し、カラフルなツアーパンフレットが乱れ飛んだものだ。

初めてのスキーはそんな格安スキーバスで行った北志賀竜王スキー場。
ゲレンデの中に民宿が立ち並び、初心者から中級者まで楽しめるコースが気に入って結局毎年行くようになった。

そんな北志賀に、何年ぶりだろうか行ってみた。

ゴールデンウィーク後半戦、例によって直前になって旅行に行くことを決めた。

テーマは「高原ドライブ」

いろいろ探し回って志賀高原を走る志賀草津道路を目的地に、思い出の地北志賀へ。

Yama思い出の北志賀竜王スキー場。
5月上旬とはいえゲレンデのところどころに雪が残り、ロープウェイで上る山頂エリアではまだまだスキー営業中だった。

ロープウェイに乗り、山頂駅にあるカフェへ。

Mukasinokitasiga92年2月の北志賀竜王スキー場。

Pensyon2017年5月、あの時のレストランがまだ残ってるのを見て感激。
ロープウェイの添乗員さんにあの頃の熱気を熱く語るが、どう見ても20代半ばのお兄さんは「そんな時代があったってのは知ってます」的に聞いてくれた。
スマホに入れた当時の写真を見せたら「あ、この建物まだある!」とかなかなか面白いリアクションだった。

Mukasidayo右側にロープウェイが見えるが、写真は開業一年が経ったころ。
今年で開業26年であちこちに年季を感じるリフトになってるが、あの頃はピッカピカの最新鋭ロープウェイで…なんて話で盛り上がり、山頂へ。

Nagano1,930mの景色は見ていて飽きることがない。

絶景を堪能し、テーマの高原ドライブを実行に移すべく志賀高原を抜け、万座へ。

Saiko途中日本国道最高地点へ。
箱根じゃなかったっけ?と思ったけど、あれは「国道一号最高地点」だった…

Kougenこれこれ!こういうのすごく気持ちいい!
あいこちでシーズン最後のスキーを楽しむ人たちがいて、スキーもまだまだ人気あるなと実感したり。

万座から軽井沢に抜け、上信越道から関越、圏央道であっという間に帰宅。

25年前、長野方面にスキーに行くと移動に半日以上費やしたのを思い出したが、あの頃は金がなかったから関越道もめったに使わなかったからそりゃそうだった…

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2017.05.01

ラーメンと銀行

ゴールデンウィークの中日、平日だったのだが休みを取った私はどこかふらりとドライブに行こうかといろいろ策を練っていた。

もしや暇かな?と友人に声をかけたらこのノープランなドライブに乗ってくれ、あれやこれや行き先を決めだしたのが前日。

ずいぶん昔から気になっている月夜野のラーメンショップ?
月夜野と言えば赤城のモツ煮の名店永井食堂もいいな…

なんて話をしたらどれもお休みで開いてないと…

あーだこーだ打ち合わせた結果、ようやく探し当てた群馬のラーメン屋を目的地と決め、翌日の決行を迎えた。

当日は友人とは高坂SAに集合。
高坂SAって新しくておしゃれなSAってイメージだったけど、今見るとずいぶんくたびれたSAになってしまった…

そうそう、SA、PAで一番のお気に入りだった東名高速駒門PAが移転してこざっぱりしてしまったらしい。
あの昭和なPAがもう見られなくなってしまったのはさみしいものだ。
ああいう面影のあるPAは、身近なところだと西湘バイパスの西湘パーキングくらいかなぁ。

さて、目的地は群馬県にあるうまいラーメンショップ東大室店。

北関東自動車道並志江PAのスマートICで降り、一路ラーメン屋へ。

Rasyo到着~~

街道沿いのラーメンショップによくある大きな駐車場を備えた店構えは気持ちを高揚させる。

Kitakantoukei私の好きなラーショとは一味違う、もやしやシナチクが入る、いわゆる「北関東系」と言われる盛り付け。

平日昼間にラーショを食べに北関東ドライブってのも面白い。

ラーメンを食べ終わり、ここまで来たんだから、と横浜銀行へ。

群馬県と横浜銀行の因縁についてはこちらを。

群馬県にある横浜銀行三支店、前橋・高崎・桐生のうち二つは攻略済みで、残る桐生に行ってみようと。

Hamagin同行の友人は「ふ~ん」な感じだったが気にしなーいい

Kiryuusitenコンプリート。

某経済通の友人に「群馬に横浜銀行の支店が三店あってさぁ」といった瞬間、「生糸か!」と返してきたことがあった。
友人によると、日本銀行の支店で「?」ってとこにあるのは生糸繋がりなことが多いからピンときたと。

日銀福島支店は東北地方で最初にできた支店なのだが、東北地方で作られた生糸などの集積地だったので真っ先に福島に支店ができたそうだ。

そうなると日銀横浜支店は?!となるが、日銀横浜支店の歴史は浅く、戦後GHQとの決済業務などを想定して1945年8月28日に日本銀行横浜駐在員事務所が開設されたのが始まりとのこと。
東京が近いからそれまで支店を開く意義はなかったってことか…

そんなこんなで桐生を後にし、せっかくなので
Nanakosiいつものななこし。

もう何度も来ちゃってる気がする。

Gutenbagaグーテンバーガー改めチーズバーガー。

というわけで北関東駆け足ドライブはこんな感じで終了~~

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2017.03.12

納車記念ドライブ

飛行機写真でいつもお世話になっている方にトヨタの86が納車されたと聞き、こりゃ黙ってられないわいと納車記念ドライブを企画した。

集合場所は横須賀佐島漁港のそばにある「Marine&Farm」でおしゃれなモーニング。

いちおう湘南まで車ですぐ(深夜なら30分)の所に住んでいるハマっ子なので、うまいラーメンショップしか知らないわけじゃないんだよアピールをしながら、ナウい湘南ボーイによく似あう湘南ベーコンエッグプレートをオーダー
Syareotuasagohanここで食事をするなら、やっぱり相模湾を一望できるテラス席がイチオシ。

Osyarekanban空気が澄んでいれば富士山まで一望できるのだが、このひはあいにくもやっていて江の島までがなんとか。

ちょっとゆっくり目に朝食を取った後はのんびりと三浦半島ドライブ。

昔、まだ外回りの仕事をしていたころにちょいちょい休憩を取っていた剱埼灯台に久しぶりに行ってみた。

仕事中に来ていたのはもちろん平日で、たぶん初めて休日に行く剱埼灯台はそこそこ訪れる人がいるようで狭い道を車が行き交う。
納車されたばかりの車にはちょっと厳しく、ちょっと申し訳ないなと思ったが、こじんまりした磯から眺める相模湾に免じて許してもらおう。
Buratamorisiki

お昼は三崎のお気に入り「海舟」で海鮮づくし。
Kankansiki名物舟盛りを並べて艦隊風に。

ちょっと短い三浦半島一周ドライブだったが、堪能できた一日だった。

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2017.01.10

ドキュメント 冬のごほうび 2017 序章編

1月上旬、愛犬を亡くしひどく落ち込んでいたBlueforceさんから、温泉に行きたいすぐにコーディネイトしろ、と厳命が下った。

「明後日、どうしても秘湯に行きたい」

そんな想いをかなえるべく、予約の電話をかけまくったが、さすがに2,3日後の温泉旅館の予約ができるほど甘くはなかった。

「来月、来月行きましょう。必ず予約を取って見せます」

そう約束をし、2月の温泉旅行計画が動き出した。

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2016.10.22

金沢紀行

Notohanto前から行ってみたかった北陸に行ってみた。

いろいろやりたいことはあったのだが、千里浜なぎさドライブウェイを走りたかったので、まずは能登半島に車で向かった。

泊ったのはペンション風民宿というキャッチフレーズもなかなかユニークな「能登半島
ホームページもなかなかに昭和なこの民宿、とにかく猫づくし猫づくし、あちこち猫だらけだった。

Heyamoneko
Nekoneko
テンプレ通りの部屋にかかる絵も猫、座布団も猫。ポットも猫。

Nabemohonkakuteki
Nabemoneko地元でとれる魚介たっぷりの夕食。
目につくものは全部猫柄。
Nekomamireすべて猫。
猫好きにはたまらない、それ以外の人にはそのこだわりっぷりが理解の範囲を超える、そんな民宿だった。

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2016.10.10

栗の買い出し

茨城の笠間というところが栗の名産と聞いて、なんとなく買い出しに行ってみた。

常磐道から北関東自動車道に入り、笠間西インターで降り、ネットで目星をつけていた栗農家へ。
普通の農家の軒先で納屋から出てきた栗の売買。昔はこんなだったのかなと。

Kasamazinzya
念願の栗を購入後、近所の笠間稲荷へ。
Tuitta昨今は神社仏閣もつぶやく時代。

Tukurizakaya笠間稲荷の向かい側にあり、お神酒を代々納めているという造り酒屋の笹目宗兵衛商店に行ってみた。

Nakaniwaなかなか趣のある建物があちこちに。

帰りは北関東自動車道を東北道方面へ。
途中未完成部分は下道を使った。
Seikomaこんなところにセイコマ。

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2016.09.24

慰霊

太平洋戦争における沖縄戦の死者数には諸説ある。

平和の礎には24万人余りの名前が記載されている。
この数には沖縄戦で戦死した米軍兵士も含まれており、沖縄県民の死者は軍人軍属を含めて約15万人、一般市民はそのうちの4~5万人と言われている。

東京大空襲の死者が10万人以上、広島長崎の原爆で広島は14万人、長崎で7万人の犠牲者が出たとされる。
一般市民に限った犠牲者数で言えば大きな数字ではないともいえる。
しかし、沖縄県民の犠牲者には現地召集を受けた正規兵のほかに鉄血勤皇隊や日本軍に協力した準軍属も含まれる。

また、連合国の一方的な虐殺ともいえる空爆と違い、沖縄戦では連合国側も1万4千人近い死者行方不明者を出す地上戦が3か月続いたところが大きく違うといえる。

1946年、沖縄戦激戦地であった糸満市に「魂魄の塔(こんぱくのとう)」が建てられた。
Hi戦後すぐに一帯の開墾を米軍に命じられた市民は、周囲に散る遺骨の収集・慰霊を米軍に要請したがなかなか認められなかった。

開墾するたびに遺骨が出てくるため作業が進まず、年が明けた1046年2月、米軍はようやく収集作業を認め、集められた遺骨を埋葬し魂魄の塔が建てられた。

塔にはアメリカ兵も含めた軍民人種かかわらず3万5千柱が納められ、のちに完成した国立の沖縄戦没者墓苑に移されたが、親族がどこで戦死したか分からない遺族が今も塔を訪れるという。

Naiyoのちの「ひめゆりの塔」や「健児の塔」のルーツにもなった塔は、まだまだ暑い夏の暑い日差しの中に静かにたたずんでいた。

屋台で供花を売っていたので、お供えさせていただいた。

Tamesarerudaitiそばにある北霊碑。

太平洋戦争中、沖縄で戦死した北海道出身者33,652名を祀る碑。
うち地上戦の戦没者は10,786名だという。
沖縄戦では北海道出身者が沖縄を除く全都道府県で最も多い犠牲者を出したそうだ。
はるか2,200km離れた北の大地から派遣され亡くなった兵士を思うと合わせる手にも力が入る。

もう一つ、かつて訪れてもう一度行きたかった碑へ。
実は昨年も行こうと思ったんだが場所をよく覚えてなくて断念したので、今年はちゃんと事前に調べて訪問。

Ryuuhuunohi琉風の碑
沖縄戦に巻き込まれ、亡くなった沖縄気象台職員72名を祀ったの慰霊碑だ。

1945年5月下旬、気象台は爆撃を受け壊滅、激戦地となった沖縄南部を陸軍気象隊とともに転戦し、何人もの犠牲者を出しながら6月22日ついにこの碑の建つ岩陰で解散したという。

Umigamieru岩陰から見た沖縄の海。
72年前、ここから見る風景はどんなだったろうか。
6月22日は日本軍の組織的戦闘が終わる直前だ。まだ米軍艦がびっしりと海に浮かんでいたことだろう。

現在沖縄では米軍基地問題など70年以上前の戦争の跡を今に至るまで引きずっている。
海軍沖縄根拠地隊司令官大田少将が海軍次官宛に打った「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という沖縄県民の敢闘の様子を訴える電文を、今になっても重く受け止めなければいけないと思う。

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