先日自転車で田町まで行ってヘロヘロになった訳だが、なんとなくもう一度行きたくなった。
戸塚から田町までといえばやっぱり東海道なのだが、東海道は何種類もある。
例えば東名高速は一番新しい東海道といえるだろう。
戸塚近辺で言えば横浜新道も東海道といえる。
さらに国道1号も東海道だ。
で、江戸時代に整備された東海道。弥次さん喜多さんが歩いた道だ。
今回はその旧東海道を自転車で江戸に向かおうと思った。
で、スタート地点は戸塚の不動坂。
ここはかつて東海道と大山道(伊勢原の大山に向かう道)との分岐点。
噂によると、この大山道は私の自宅そばを通り抜けていたらしい。
江戸神田三河町の越前屋さんが寄贈した道標を後に、江戸に向かう。
東戸塚付近で旧道は国道から大きくそれ、オーロラシティに向かう。
普通の住宅地をうねうねと抜ける。
住民の方々は目の前の路地が300年前の幹線道路だということを知っているのだろうか。
そんな事を考えながら自転車をこぐと環状2号にぶつかった。
地図上では環状線を渡った先に旧道が続くのだが、肝心の横断歩道が見つからない。
あっちこっち探したらなんと歩道橋が旧東海道。
この歩道橋のあたりがかつての品濃坂なのだが、江戸っ子もびっくりだ。
歩道橋を渡り、またまた普通の路地を進むと前方にこんもりとした丘が。
江戸のマイルストーン、一里塚。

特に、品濃一里塚は道の両側のこんもりとした丘が残る県内唯一の一里塚で、このように原形をとどめている一里塚は旧東海道でも三箇所しかないという。
確かにいまでも木が生い茂り夏などは涼しそうだ。
ここを過ぎると焼餅坂といういかにも昔名づけられたような坂が。
街道の急坂の近辺は、かつての旅人が一息つくところでもあった。(現代のチャリダーも同じだが)
で、そんなところにはたいてい美味しい茶店ができるもので、そんなお店で美味しい焼き餅でも出せばその坂は焼餅坂という名前になってしまう。
現代ならセブンイレブン坂とかローソン坂なんて名前をつけるようなものか。
焼餅坂を登りきると境木地蔵尊。
ここは相模の国と武蔵の国の国境だったところ。
ここを過ぎるとあとは海に向かって下るだけ。
逆に江戸から京都に向かう時の最初の難所がここになる。

ここが本当の権太坂。
国道一号に比べてもはるかに急坂。帰りは絶対通りたくないと思った。
ちなみに矢印看板の協同飼料株式会社とは、ドッグフードのビタワンで有名な日本ペットフードの母体となった会社。
昔、東海道線の下り電車に乗ると保土ヶ谷を過ぎたあたりで左手斜面に巨大な犬小屋が見えたが、この会社が飼育する犬の住居で、宣伝も兼ねて巨大な小屋を建てたとか。
研究所の設立はなんと昭和32年。矢印看板も歴史を感じる。
ちなみに飼育施設は静岡に移転した為、今では犬はいないようだ。
坂を下りきると元町ガード。
東海道が確立する以前はこのあたりが保土ヶ谷として栄えていたとか。
保土ヶ谷が今の位置に移転したので元の町で「元町」
うーん、なかなか含蓄のある町名だ。
この交差点を右に曲がり、保土ヶ谷に向かう。
この辺りはなんとなく旧街道の面影を感じる。
さらに進み、旧保土谷宿で左に曲がり踏切を渡ってまた旧道。
さすが旧宿場町だけあって栄えている。
横浜でも一、二を争う商店街の洪福寺商店街を抜けるとようやく横浜駅近辺。
横浜駅そばの旧東海道は、駅前の鶴屋町三丁目交差点から80mぐらい坂を登ったところにある陸橋(上台橋)。
かつてはここまでが海だった。

当時は海を望む風光明媚な場所だったらしいが、当然その面影は無い。
さらに神奈川台関門跡を過ぎると神奈川宿袖ヶ浦。
ここもすぐそこまで海が広がり景色も良かったので茶店で栄えたという。
その茶店にルーツを持つのが割烹田中家。
ホームページを見る限り、そんなに敷居は高くない感じ。
横浜駅西口のあいちやともども気になるお店だ。
ここを過ぎると、旧道はほとんど国道15号と同じルートになる。
前回も通った生麦事件跡、日本橋から来た旅人が最初に渡る橋だった鶴見川の鶴見橋などを華麗にスルーして六郷橋(当時は渡し舟)を渡る。
ここまで来ると周囲も暗くなり、写真どころではなくなる。
本来なら鈴ケ森刑場、北品川にある品川宿など見所もあったのだが、時間も無いので立ちこぎで通過。
うーん、前半で寄り道しすぎた。
江戸の入り口、高輪大木戸をくぐればいよいよ目的地。
本当ならこのまま日本橋まで行きたいところだが、今日はここまで。
というかもう自転車で通勤はお腹一杯だなってかんじ。