2008.06.14

昭和と平成の融合

最近仕事で三多摩地区を周っていて、気になる交差点を見つけた。
青梅駅のそばにある「鉄道公園入口」というその交差点は、しかし周りを見てもそれらしい施設は見当たらない。
先日意を決してその交差点を曲がり、山の奥に向かって車を走らせて見た。

しばらく進むと上り坂になり、ふと左を見ると広場に置いてある新幹線が目に入った。
こんな山の上に交通博物館みたいな施設があるんだ・・・と思いつつこじんまりとした駐車場に車を止め、公園に入ってみることにした。
入口のある建物にJR東日本と看板が立っているのを見てJRの施設なんだと気づく。
正式名称は青梅鉄道公園というらしい。入場料は100円。昔の羽田空港展望デッキ入口にあったようなアームがぐるぐる回るゲートに100円玉を入れて入場する。
園内には主に機関車が多数展示されているが、目をひいたのがクモハ40。
Pic28145
私が小学生の頃、南武線はほとんど101系の混色電車が走っていたのだが、ときたま茶色い電車を見ることができた。しかしそれも瞬く間に姿を消し、茶色い電車(通称チョコ電)に乗った思い出は半ば幻の思い出になった。
今見ても懐かしいなぁ。この電車は青梅線を1978年まで走っていた車両だとのことだが、たぶん南武線でも同じ頃まで走っていたと思う。
南武線の武蔵溝ノ口で交差する東急田園都市線はその頃からオールステンレスワンハンドルマスコンの近代的な8500系が走っていたので、「南武線は茶色い電車が走っている」とネタにしていたが、当時は木造電車だと思い込んでいたと思う。もちろん鋼製車なのだが床は木だったと思う。
Pic29358懐かしむように車両を隅々まで見ていてなんとなく違和感が。
この「横コツ」という略号表記は、東海道線に乗っていた頃はよく見かけたがJR東日本横浜支社国府津車両センター所属の車両であるという意味である。
昭和10年に作られた車両に平成8年に発足した国府津車両センターの略号である横コツ表記を見るとは思わなかったが、この車両は2000年までイベントなどで本線上を走っていた車両で、国府津に車籍があったのだ。
つい先日まで実際に走っていた電車がここで動くこともなくひっそりと佇んでいるのもなんとなく裏寂しいものがあるが、ブレーキ性能の問題等でもう本線は走れないらしい。残念だ。

Pic24464この公園に展示してあるのはほとんどが蒸気機関車だ。D51の運転台に入っていろいろ探索していて目に付いたのがATS装置。ちゃんと警報ランプと復帰ボタンが装備されている。
職人機関士が汗を流しながら機関車を重々しく駅構内に進める時に響き渡る「ジリリリリリリリ」という警報音。そして復帰ボタンが押されて「キンコンキンコンキンコン」と軽やかに流れるチャイムを想像すると、鋼鉄の塊で歴史的な産業遺産であるSLも113系と同じ鉄道車両なんだなぁと実感する。

Pic26962
そして一番最後に気になったのが、公園の片隅にたたずむこの戦闘機。
どこの隊長機?

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2008.03.15

惜別!GALAXY TRAIN さよなら急行「銀河」

Gingatonagara昨日の東京駅10番ホームは夜になって大騒ぎだったらしい。ホームにあふれかえらんばかりの鉄道ファンがテールマークを撮っている写真が新聞に載っていたが、携帯電話のカメラで撮っている人たちがたくさんいたのが今の世相を反映しているのかなと思ってみたり。
昨年8月、私が銀河に乗ったときは「廃止は既定路線だがまだもうちょっとは頑張るのでは」と思われていたので、あれから半年ちょっとでの廃止のニュースを聞いた時は意外だった。
あまり鉄道に詳しくないBlueforceさんに「絶対に開放ロネに乗ったほうがいい」と言われて奮発した開放A寝台だったが、やっぱり乗っておいてよかった。
小さい頃からブルートレインに乗るのは夢だったのだが、7年ぐらい前に北斗星に乗ったことでそれは果たされた。しかしこのときは個室B寝台に乗ったので、いかにも昭和なブルートレインのイメージがある開放寝台に乗るのは意味残された夢でもあった。
Roka写真のような開放B寝台もまたいかにもブルートレインだと思う。実はこの通路の壁に畳んである椅子に座りながら明け方の海を眺めるという夢も残っているのだが、これはまた別の機会に。
それにしても、「銀河」はもうちょっと生き残ると思ったんだけど…やっぱり深夜高速バス並みの値段にならないと厳しいのかなぁ。バスだと補助席で東京~大阪3000円とかあるらしいけど、幾らなんでもあの座席で一晩過ごすのは罰ゲームと言ってもいいだろう。
新幹線で移動してビジネスホテルに泊まると思えばまだまだ銀河も選択肢に入ると思ったんだが、鉄道なんて単なる移動手段、乗ってる時間なんて短けりゃ短いほどいいなんて思うビジネスパーソンならやっぱり新幹線なのかな。最近の新幹線は、エクスプレスなんちゃらとかでどんどん乗るのが簡単になってるし。

時間を優雅に消費するクルーズ旅行に人気の兆しが見えるように、鉄道の旅だって速達命の時代じゃ無かろうに、新幹線ができると在来線が消える、そんな時代があったことを後悔する時が必ず来る…といいなぁ。

新幹線だとこんな写真も撮れないし… 微妙にS字にカーブする丹那トンネル↓
Tannnatonnneru_2


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2008.02.02

Blueforceはてな分遣隊 × ブログのはしくれ

先日の「初めての撮り鉄」は、Blueforceはてな分遣隊管理人のBlueforceさん完全プロデュースで行われたワケだ。
なにしろ私は大糸線の名が信濃町-魚川に由来しているというのも前日に知ったほどの浅い知識の持ち主だ。ここは“ホンモノ”のBlueforceさんに付いていくのが得策というもの。

撮り鉄一発目、Blueforceさんと私はまったく違う場所で撮影した。前回のエントリーのトップに上げた写真がそれなのだが、Blueforceさんはなにやら雪に埋もれた林道をえっちら登って撮影したようで、発電所をバックにしたすばらしい写真をゲットしていた。
Blueforceandkiha
この写真も私が同じ場所で撮ったものなのだが、ここに苦労して林道を登ったBlueforceさんも写っている。
Blueforceandkiha2
ココ。
撮影前、ラッセルしながら漸進するBlueforceさんを眺めつつ、「どこまで登るんだろう…」と見守っていたのだが、さすがである。

Yane
登るんだったら私も負けていられない。この撮影スポットには、ランクルの横に写っている方も含め多数の鉄道ファンがキハを待ち構えていたが、私のこの姿に喰い付く方は誰もいなかった。あまりにもせつないので私自らBlueforceさんに撮影を頼んだ一枚である。

Tonnneeru
筒石駅で、柵にカメラを固定しスローシャッターで撮影するの図。トンネルマニアを自認するだけあり、上りと下りのホームを行ったり来たりで、私も入場料140円でしっかりトンネルを堪能した。同じ入場料を払うのでも、エキュート品川でショッピングをするより数倍エキサイティングな経験だ。

Dorodoro今回三脚は持っていったのだが、雪面に立てるのが億劫で一回も使わなかったが結果的にブレブレ写真を量産してしまった。周囲で撮っていた方々は皆しっかり立てていたが、素直に真似をしておけばよかったとちょっと後悔。
さらに雪だと露出補正が難しく、白とびだったりアンダーだったりで歩留まりがさらに悪くなってしまった。いやー、勉強勉強。
ランクルもドロドロに汚れてしまったが、これもまたかっちょいい。融雪路から圧雪路、筒石駅までの凍結した急坂の登り下りまでいい仕事をしてくれた。つまり、来年の冬も行きたいなーと思ってみたり。

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2008.01.29

初めての撮り鉄

Tekkyoutokihaそれは、1通のメールから始まった。「岩泉線のキハ52が11月で運用をやめるんだけど、写真撮りに行かない?」 プジョー仲間のBlueforceさんよりお誘いメールをもらったのは昨年11月初旬だった。この時は予定日の天候が悪くお流れになり、岩泉線のキハ52は我々に撮られること無く静かに運用を終わらせた。それを嘆くBlueforceさんからのメールに「あとは大糸線で…」とあったので、じゃあ大糸線で撮りましょうって伝えると、「もうこの雪の季節だし春にしよう」とのこと。ちょっと待ってもらいたい。わたしゃ地元のおばちゃんのドライヴするスズキキャリー4WDにギリギリ負ける腕前の持ち主だ。しかも雪国のディーゼル気動車はなんて絵になるんでしょう。「4月といわず、一番雪の積もる時に行きましょう!」ということで1月最後の土曜日、その計画は決行された。
深夜0時、私の家に集合し撮影機材などをランクルに積み込む。その時、Blueforceさんから「このレジェメ、読んどいて」とファイルを渡される。レジェメ?何かの講義が始まるの?…何のこっちゃと渡されたファイルを広げると、そこには当日のダイヤグラム、キハ52の歴史を記した雑誌の切り抜き、名撮影ポイントで撮られたキハの写真多数…こ、この人は本気だ…

糸魚川駅の大糸線始発は6時13分。私が中央道八王子インターで間違って国立府中方面に向かってしまったりしたこともあり、始発には間に合わないかと思ったが、特に爆走するでもなく糸魚川駅に6時丁度に到着した。
ターミナル駅とはいえ、地方のローカル線。乗客なんてそんなにいないだろうと思ったらさにあらず。始発列車はスキー客で座席はほとんど埋まってしまった。しかも撮り鉄な方々も他に数名。確かに大糸線沿線は有名なスキー場が多々あるからこのシーズン当然といえば当然か。
Itoigawa
糸魚川駅4番ホームにたたずむキハ52 115(左)とキハ52 115。2両止まっているが、運用は1両編成のワンマン運転。大糸線JR西日本管轄の非電化区間をこの2編成で運用している。

Yorunoitoigawa
間もなく出発。止まっている時もガラガラやかましいディーゼル気動車だが、ディーゼル好きなワタシにはたまらない“騒音”だ。

Kakusuko
車内には雪国必須の雪かき用角スコップが常備される。除雪の最後の切り札ともいえる。

Hiraiwaeki_2
平岩駅で10分ほど停車。プチ撮影会が始まる。列車の中のスキー客と外の鉄道ファンの温度差がなんともおかしかった。

Otaritokiha
南小谷駅到着。1時間弱の小旅行。折り返し糸魚川に向かうキハは一休み。

Kotatu
南小谷駅舎内におコタツ発見。猫とかみかんこそ置いていないが、電気も入っていてぬくぬく。畳におコタツ。と駅窓口の風景は雪国ならでは?
ほぼ徹夜でここまで来たので、おコタツにもぐりこんでいたらとてつもなく睡魔が襲ってきたが、駅員さんがニコニコこっちを見ていたので寝れなかった。

ここから糸魚川にとんぼ返り。やはり列車は撮るだけでなく乗らなければ。運賃収入にもわずかながら貢献しなければならないというのはBlueforceさんから学んだ鉄の哲学。

Binhadokoda
灰皿は撤去されていたが栓抜きは残っていた。瓶ジュース自販機があちこちにあった頃はとかく重宝したことだろう。瓶ビールを車内に持ち込んで、うっかり栓抜きを忘れてもこれなら大丈夫だ。

Iichiko
車窓にはのんびりとした雪景色が広がる。列車は姫川という川に沿って走るが、この川は名前に似合わず有数の暴れ川で有名だとか。95年7月11日から12日にかけて起きた「7・11豪雨災害」で、大糸線は国道148号線とともに壊滅的な打撃を受けた。
復旧まで2年以上の歳月をかけ、97年11月29日全面復旧したのであった。この歳月は復旧というより新線敷設と言ってもいいだろう。いやぁ、語弊があるかもしれないが、非電化のローカル線がよくまあそのまま廃止にならなかったものだ。

Sunosyeddotokiha
首都圏色のキハ52 156 私が初めて見た気動車は栃木県の烏山線を走っているキハ40だ。今は烏山線独自のローカルカラーで走っているが、当時はこの写真と同じ首都圏色で走っていた。小学生だったその頃、あまりのカッコ良さにすぐにNゲージでキハ40を買いに走った。しかしそれは、家に帰って封を開けると、間違ってキハ20を買っていたという悲しい思い出でもある。

Yukinorankuru
撮影は国道をあっちに行ったりこっちに行ったり大忙しだ。ナビのBlueforceさんがダイヤグラムとカーナビ画面を見比べながら撮影ポイントを絞り込んでいく。この作業がなんだか楽しくて、結局撮影だけで100キロ近く走っていた。

Rankurudaibutu
どうしても俯瞰で列車の写真を撮りたかったので、白馬大仏が鎮座する葛葉峠に向かう。しかし、あまりの降雪に下界が霞んでしまい、撮影ポイントもなかなかいい場所が無かったので大仏様の写真を撮って転進する。

Zenigatatonkatu昨日の夜からろくな食事を取っていなかったので、糸魚川で腹ごしらえをする。向かったのは「銭形」というレストラン。ここは巨大エビフライが有名だとか。私が選んだのはミックスフライ定食。巨大では無いがそれでも大きいエビフライとホタテのフライ、ひれカツがついて1350円(だったかな?)。しかしここでゆっくりもしていられない。最後に「絶対に撮らなければならない写真」があるのだ。

Rigou
非電化区間で唯一離合する根知駅に向かい、離合シーンを撮る。すっかり日も暮れ雪も激しくなったが、音も無く静かに行き違う2両の気動車が郷愁を誘う。
この写真を撮って本日の予定はすべて終了し、帰路についた。

が、

しかし、Blueforceさんは終わっていなかった。

「この先に筒石っていう面白い駅があるから、ついでだから行こう」

筒石。さすがの私も聞いたことがある。北陸本線の、ホームがトンネルの中にあり、下りるのに300段近くの階段があると言う駅だ。
Ranukurututuisi国道8号を北上し、筒石地区から完全凍結の山道、しかもかなりの急勾配を帰りの心配をしながら登ってゆくと、突然駅舎が顔を出す。駅舎の周りを見ても、どこにもホームも線路も無い。この建物は単なるトンネルの入り口なのだ。駅名看板が無ければ工事現場の事務所にしか見えないプレハブの建物に入ると、切符を売る窓口があり「駅」を主張する。

もちろん入場料140円を払い、駅に下りる。入場料収入に貢献するのも鉄の哲学だ。この駅では入場券のほかに「入坑・入場証明書」という絵葉書を兼ねた証明書をくれる。作るのもタダでは無いだろう証明書を作る余裕があるのか問い詰めたいところでもあるのだが、この駅は大糸線巡りとセットで訪れる鉄道ファンも多いらしく、入場料収入もそれなりにあるのかもしれない。

Tutuisisutesyonちょうど普通列車が入ってきた。乗降客は1日平均60人前後とのことだが、この列車でも数人が降りていった。
ホームの狭さもごらんのとおりだが、ここを特急はくたか号は130Km/hで走り抜ける。

Tutuisikaidan_2ホームから地上に向かう階段。バリアフリーのバの字も無い。
もともとはトンネル工事で物資の運搬や掘り出した土を排出する斜坑を利用した物なので、ある意味トンネル土木工事の遺構というわけだ。

Tyenkiseiこれで本当にすべての予定が終了した。北陸道名立インターからチェーン規制の出ていた上信越道、関越道、圏央道と順調に走り無事帰宅。24時間鉄にどっぷり漬かった濃ゆい1日が終わったのであった。

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2007.10.26

やっちまった

Kekyu電車通勤20ヶ月。財布や携帯電話を忘れることがあっても一度も忘れたことがなかった定期券。今日はじめて家に忘れて出勤してしまった。
改札で気づいたときはすでに遅し。4月から民鉄もsuicaで乗れるようになってからというもの久しぶりに券売機で切符を買った。
で、帰り。せっかく金を払って電車に乗るんだったらいつもと違うルートで帰りたくなるというのが人情。会社から川崎駅まで東急バス、川崎から横浜まで京急で帰ることにする。
京急川崎~横浜間って220円。JRなら210円だ。国鉄は民鉄より高いというのはまさに過去の話。国鉄民営化後JR北海道、四国、九州のJR三島会社以外のJRは消費税導入、税率改定時以外は値上げしていない。
ってことは国鉄の時代から京急のほうが高かった?と思って調べたら京急も消費税がらみ以外では値上げしていないっぽい。
でも、京急川崎~横浜間って例えば横浜-品川間のようにJR競合区間なので特例で値段を抑えていたと思ったけど…抑えているのに10円高いってことは昔っから京急のほうが高かったのだろうか。

Yuutei京急川崎で見かけたプレート。京急川崎駅では列車の分割・併合が頻繁に実施される。その際の目標になる標識だと思うが、何の略なんだろう。

〈註:本日の記事は特定の読者に振った記事では決してありません〉

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2007.10.09

大人プラレール

友人の息子さんの初めての運動会のためにデジカメを貸した。無事運動会も終わったとのことで引き取りに行ったときに大きくなったその息子と少し遊んだ。前回会ったのはまだ0歳児だったと思うが、人間見ないうちに本当に大きくなるもんだ。前見たときはどう見ても人間より猿に近かったが、今回立派な人間になっていた。
で、世間の男の子同様乗り物が大好きでとっておきのおもちゃを見せてくれた。
Yokokaru_2これがびっくりの189系特急あさま+EF6311+EF6312の横軽仕様。これ商品化したタカラトミーの中の人はちびっ子なんて絶対眼中になかったはずだ。横軽仕様の無線アンテナが再現されているのはもちろんだが、なにしろ機関車にスピーカーが内蔵されていて、連結・解結時に(マグネット式連結器がEF6311に装備されている)連結器の音がしたり警笛がなったり、極めつけは止まっている間は発電ブレーキの抵抗器の冷却ファンの回る音がずっと鳴っている。どんなこだわりだ?
おとうさん(友人)はまったく興味が無いようで、うっかり興奮する私を冷ややかに見ていた。息子は機関車を先頭にガタンガタンと走らせていたので、軽井沢に向かうときは機関車が最後尾なんだよ、と教えてあげた。
「俺はこのあさまに乗ったことがあるんだぜ。フフン」と軽く自慢したら、「僕もあさまに乗ったことあるモン!」と返された。ウソつけ!4歳児が97年廃止の特急あさまにどうやって乗るんだよ!と猛烈に反論したら長野新幹線あさまのことでした。僕は乗ったことがありません…

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2007.08.11

酷鉄各駅停車の旅

Yuuhiすっかり友人宅にお世話になってしまったが、今日は鈍行列車で戸塚まで戻らなければならないこともあり、朝早く(といっても8時ぐらい)に近所の福知山線の駅まで送ってもらい、私の長い一日が始まった。
ちなみに金券ショップを片っ端から回って探した青春18きっぷはどこに行っても5枚つづりしか売っていなかったので、大阪駅のみどりの窓口で買ってしまった。金券ショップでは100円しか安くないし、何が起こるかわからない気まま旅だったので現金を残しておきたかったのでカードが使えるみどりの窓口で購入してみた。

福知山線はいまでこそ大阪とベッドタウンを結び、過密ダイヤが原因で大事故を起こしたりした路線だ。しかし80年代半ばまではDD51が客車を牽いていた、腕木式信号機が残るのどかな単線路線だったそうだ。DD51+12系客車が20年前はまだまだ普通に走ってたんですね…
この頃は武庫川の渓流沿いを走るローカル線風情だったが、1986年の電化・複線化に伴い渓流沿いの単線は廃止された。これは京都の保津峡を走る旧山陰本線に経過がとても似ている。保津峡では旧線はトロッコ列車になって観光資源となっているが、こちらは廃線となり一部が遊歩道になっている。
Tonnneru宝塚市で乗降客の最も少ない武田尾駅で降りてみる。ここは旧線と交差する場所で、無人改札を出るとそこがかつての線路を使ったハイキングコースだ。右にしばらく歩くとトンネルが出てくる。中は電線を支えていた碍子が残るなど鉄道トンネルの雰囲気がばっちり残る。
本当はもっと散策したかったが、何しろ今日中に戸塚に戻らなければならないのですぐに駅に戻った。
ホームで待っているとやってきたのは京都行き。こりゃちょうどいい。これで京都まで行って新福菜館で昼ラーメンかな、なんて計画を立ててみた。

で、電車に乗り込みドア上の路線図を見ると、魅惑の駅名が。「奈良」 ふと頭の中に「あなたと奈良、大和路」というフレーズが浮かび、谷村新司の三都物語が流れた。(調べてみると、JR西日本の三都物語キャンペーンは京都大阪神戸で、奈良は入ってないんですね…><)
しかしこれが酷旅の序章だったと気づくのはほんの4時間後である。
とりあえず奈良に行こうと尼崎駅でJR東西線に乗り換えた。来た電車は同志社前駅行き。終点まで行き、奈良まで行く電車が来るまでの40分ほど駅前散策してみた。駅前に天下一品があったので朝ラーメンしようかと思ったらまだ開いてなかった。

Naraやっと来た電車で奈良駅まで行って驚いた。工事中で仮駅舎だからか閑散としていてお土産物屋すら見当たらない。当てにしていた立ち喰いそば屋すら見当たらず、失意のうちに次の目的地を探す。
大阪まで戻るのもどうかと思われたので、ここで次の目的地を和歌山に定め、和歌山朝ラーメン(といってももう昼近いが)を目指すことにする。和歌山からは紀勢本線で名古屋に抜けるルートを考えた。
奈良から和歌山に向かう和歌山線という路線があるのだが、いくら路線検索しても天王寺に戻れと指示するので、大和路線で天王寺に一旦戻り、阪和線で和歌山に向かうことにする。
このあたりでなんとなく「むちゃ?」という思いが頭をよぎってくるが、必死にそれを払いのける。携帯サイトでいくら調べても、和歌山から戸塚に向かう経路は「大阪まで戻れ」と指示してくる。でも、こんな天気のいい日に海沿いを走る気動車なんて最高だろうなという思いが不安を無理矢理払拭していた。
最後の思いを込めて和歌山-新宮-亀山-名古屋-戸塚で検索すると、名古屋でムーンライトに乗れとの指示が。ムーンライトの指定席なんていまさら取れないだろうし、仕事もあるし…、と同時に、Blueforceさんより「その旅は名古屋で終わる」とメール。これで決心はついた。引き返すなら今しかない!と、どこだかわからないが停まった駅で電車を飛び出した。降りてみると「熊取」という駅だった。Blueforceさんからのメールは、私を社会的な死(月曜日会社ばっくれ)の淵から救い出してくれたと言っても過言ではない。本当にありがとうございました。

時計を見ると13時過ぎ。ここからはもはや時間の余裕などない。
大阪駅に戻ったのが13:40ごろ。ここから14:00発の山陽本線新快速に乗るべくお土産と軽食を購入する。ちなみに朝からまだ何も食べてはいない。
首都圏となんら変わらないラッシュのなか米原まで移動し、大垣行きに乗り換える。米原でようやく本日一食目をホームの立ち食いで頂く。透明なつゆが関西圏を実感させる。
大垣で特別快速豊橋行きに乗り換える。豊橋で何か美味しいいかにも「名古屋っぺえ!」的な駅弁を買おうとワクワクするが、駅売店を覗いてみるとそんなものはなく、がっかりしながら幕の内弁当を買う。
豊橋からは浜松行きに乗る。弁当を食べようと思ったら全席ロングシート。ちょっと食べる気が起きなかったのでガマンする。
浜松駅で、もしかしてうなぎ弁当とかあったら買っちゃおう!とウキウキするが、売ってるのはうなぎパイばかり。がっかりしながら静岡行きに乗り込むと、こいつもロングシート。またもやガマンガマンで静岡駅へ。
浜名湖を過ぎるあたりで夕暮れが迫り、静岡駅到着19:51。腹も減ってきたし静岡駅での余裕は15分。何もする気が起きず20:06発の熱海行きに乗り込む。
熱海到着21:18。ようやくJR東日本管内だ。やってきた電車も見慣れたE231系。もうハラペコでお腹と背中がくっつきそうだったのでグリーン車をおごる。ただし、乗り換えに許された時間は4分。Suicaグリーン券の発券機が見当たらず、発車時間も迫っていたのでやむなく車内でグリーン券購入。250円も高いんですね…
ようやくご飯にありつくが、お食事タイムに許された時間もわずか23分。小田原駅で快速アクティーに乗り換えるためだ。
小田原21:50発の快速アクティーで戸塚到着が22:26。

人生は旅であり、旅は人生である。各駅停車(一部快速)の私の旅が終わった。
当初は普通に東海道線を横浜に向かうつもりだったが、ふと見かけた「奈良」の文字が全てを変えてしまった。
京都でラーメン、名古屋で味噌煮込み、浜松でうなぎを食べながらのんびり行こうと思っていたのだが、結局立ち食いうどんに幕の内弁当という散々な結果。

今回大阪からの旅程は事前にネットで調べていたものなのだが、大阪から戸塚まで1分の遅延早着もなく全て時間通りに電車が動いていたのには感動した。さすがJR。
ノープランの旅も面白いのだが、終わったあとはいつも後悔する。今度からは必ず、プランを立てないまでも時刻表ぐらいは持っていくようにしようと心に誓った。

紀勢本線、全線乗ると400キロ近くになるって今知った。乗らなくてよかった…でも乗ってみたかった…

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2007.08.07

「銀河」鉄道の夜

Misima私が自腹で鉄道に乗るようになったころからすでに寝台列車は斜陽の一途をたどり、その愛称でもあった「ブルートレイン」は各路線が次々と廃止となっていった。20年以上前、なけなしのお小遣いをはたいて購入したNゲージの24系をEF66に曳かせては「いつかこれで旅に出たいなぁ~」と床に顔をへばりつかせながら見入ったものである。

私の仕事は基本的に土日祝日が関係ない職場のため、お盆も正月も日にちをずらして取ることになる。今回ぽっかり3連休ができたので、急遽大阪の道頓堀にある金龍というラーメンを食べに行くことにした。日程的に余裕があったので行きは思い切って夢だったブルトレで、帰りは青春18きっぷでテキトーに帰ってくればいいや、とノープラン旅行に旅立った。
乗るのは寝台急行銀河。特急がほとんどのブルートレインの中で、銀河だけは急行なので運賃が安いのが魅力。こちらも乗客はまばらで乗る直前でも切符は取れるといわれていたが、横浜駅のみどりの窓口に置いてあるパソコンで空席を確認するとなんと残りわずか!
狙っていたのは開放A寝台という1編成に28席しかないのでちょっと焦る。しかも窓口は大混雑でどう考えても1時間は並びそうな勢いだ。
ふと思いついて京浜東北線でひとつ隣の東神奈川駅のみどりの窓口に行ってみると、ひとつしかない窓口で駅員さんは暇そうにマルス端末を眺めていた。横浜駅で記入済みの申込み用紙を差し出して難なく寝台のきっぷはゲットできた。残りは帰りの青春18きっぷである。
とはいっても青春18きっぷは5日分で1万円超もする高価なきっぷ。1週間ぐらい前に金券ショップを下見したときは3日分が残ったきっぷを8千円ぐらいで売っていたので、出発当日に金券ショップを廻って残り1日のやつを3000円ぐらいで買ってから出発するか、と気楽に考えて出発日の昼過ぎに家を出た。事はそう上手くはいかなかった。
神田から山手線沿いを北上しながらめぼしい金券ショップに手当たりしだいに突入していったが、売っているのはどれも5日分ばかりで使いかけはどこにも売ってない。あーあの時買っておくべきだったなー。まーいいや、大阪にも金券ショップはあるだろうし。というわけで上野の若狭家で軽く腹ごしらえをして東京駅に向かった。

Nyuusen22時半過ぎ、鉄道ファンのシャッター音が響くなか神田側よりEF65-1000に曳かれて静々と銀河が入線して来た。私はてっきり田町から推進回送で来るのかと思っていたが、言われてみれば東京駅なら機回しできるしはるか田町からえっちら時速45キロで来たら東海道線も大渋滞だ。
取った席はA寝台下段。銀河の中では一番高い席だ。開放寝台といって通路とはカーテンで仕切られるだけなのだが、キッチリ閉めてしまえばほとんどカプセルホテル並みの居住空間の出来上がりだ。しかも下段は必ず大きな窓がつくがこれが快適。B寝台は進行方向に横向きのベッド配置でカーテンを閉めると窓もない密室になってしまうの面積的な面以上に大きな差になると思う。

Bed定刻23:00、銀河は客車特有のガチャンというショックとともに東京駅を出発し、大阪に向かって走り出した。
窓のカーテンを全開にしていると、品川や横浜で通勤客に羞恥プレイをさらす羽目になるので要注意だ。いつもは見るほうなのだが、見られるほうはかなり恥ずかしい。かといってホームの人に気づいてカーテンを閉めるのも何かに負けた気がしてこれまた気恥ずかしい。なんて難しいんだ!
A寝台下段は専用窓までついてかなり贅沢なベッドだが、私は最初はB寝台でいいやなんて思っていた。なにしろA寝台に比べて4000円も安いのだ。しかし、今回の旅をBlueforceさんに自慢(?)したところ「A寝台に乗ったら?いや乗れ!」となんとも魅惑のメールが来たのでついカッとなってA寝台下段を取ってしまった。
Madoだが、一度A寝台のベッドに横になると大枚叩いてA寝台にして本当に良かったと思った。ごろんと横になって覗く車窓には、いつもはラッシュでドアに押し付けられながら見る風景が広がる。これはなんという贅沢なんだろう。
大船を出たあたりで車内を探検してみると、夏休みシーズンだからか7~8割方のベッドが埋まっているように見えた。日常的にこれだけお客さんがいれば「絶滅危惧種」だなんて言われないだろうなぁ…

トラベルライターの横見浩彦氏によれば、「寝台列車は寝るのはもったいないし寝ないのももったいない(鉄子の旅)」だそうだ。いやよく判る。深夜高速バスだと「寝るが勝ち」な気がするが、そこが大きな違いなんだろうなと思う。
私もいつまで起きていようか迷ったが、とりあえず東海道沿線で一番好きな由比-薩埵(さった)峠あたりまでは起きていることにした。
Satta江戸時代から「東海道三大難所」と旅人を苦しめた薩埵峠は、今でも交通の要所である。東海道線、東名高速、そして国道一号が山肌と海の間のわずかな隙間に張り付いている様子はまさに日本の動脈、しかも頚動脈といった風情だ。ここを通るたびに壮大な自然と対峙し続ける日本の土木技術とその水準の高さに感動する。
併走する国道1号と東名高速には、深夜とはいえ日本の物流を支えるトラックが北へ南へと無数に走っている。これが貨物列車なら物流コンボだな、などと思いつつ洞トンネルに列車が入ったところで眠りについたのだった。

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2007.07.17

昭和の鉄道を尋ねて

台風も近づいた雨の日曜日、プジョー仲間のみっちーさんと電車に乗って江戸東京博物館まで行ってきた。目的は大鉄道博覧会。プジョー要素一切無し。
この博覧会は日本で鉄道が一番熱かった昭和30年代の鉄道にスポットを当てた博覧会で、「しんかんせん」なんかを目当てにやって来たちびっ子には少々難しい展示だったようだ。
Jnr_1国鉄マークの入った扇風機なんて見ても、喜ぶのは大きなお友だちだけ。そういえば今年は国鉄解体20周年。今二十歳より若い人は国鉄を知らないのかー。JR東日本発足の予告CMで「JR東日本まであと○○日!」なんて言ってたゴクミもいまじゃ国際的なセレブだもんなぁ。
それにしても国鉄(Japanese National Railways)のロゴは秀逸。JRのロゴをはじめて見た時の落胆っぷりは今でも覚えている。なにしろ当時自分なりにロゴを考えていたのだが、その中でボツにしたのとそっくりだったから。って言うかなにやってたんだろ、20年前のオレ。

Yukisaki今から30年ほど前、親の実家が栃木にあったので帰省といえば東北本線だった。上野駅には改札やホームには写真のような乗降口看板や改札口上看板が所狭しとぶら下がり、115系がホームに入り車両横の鉄板の行き先表示板をひっくり返す駅員さんが走り回るのを見ると帰省ムードが高まってきたものだ。今じゃ戸塚から直通で宇都宮まで行ける時代。これはこれで便利ではあるが、やっぱり昔は懐かしい。

Torokko_1保線作業を展示するコーナーにはルパン3世に出てくるような自転車トロッコが。これ超乗りたい。後ろから機関車とかに追いかけられてしゃかりきに漕いで必死で逃げたい。最後は鉄橋から川にピョーンとカエルのように飛び込んで難を逃れたい。ちなみにちびっ子たちに人気の薄いコーナーのひとつ。これに興味を示さないちびっ子は何か間違ってると昭和生まれの私は思った。

じっくり博覧会を堪能したあと、以前から行きたかった常設展示も見学。いや~こちらはかなりのボリュームでお腹いっぱい。江戸時代から上水道完備どころか水道管が埋設されていたというのが一番驚いた。凄いぞ江戸。

散々歩き回って腹も本格的に空いたので有楽町に移動。ここでみっちーさんがなにやらズームレンズにご関心とのことなのでビックカメラで試写など。いや、ありゃなかなかコストパフォーマンスに優れたレンズだと思いますよ、みっちーさん。
晩御飯はCdeC御用達という韓国家庭料理のコパンコパン。ここって英語表記だとCopainCopineと、CanCam並みに前と後ろで文字が違う、というところがどうでもいいくらい気になった。
Purukogiプルコギやチヂミを初めて食べた。別にキライというわけではなく食べる機会が無かっただけなんだが。横浜橋商店街なんかでは屋台で売っているのをよく見かけた。美味そうだなとは思うのだが、どうしてもその隣のたこ焼きを買ってしまっていた。
いや~こりゃどちらも美味い美味い。もちろんこのお店だから美味いのかもしれないが、バクバク食べてしまった。

急遽決まった大江戸めぐりだったがかなり充実したものだった。みっちーさんベリーサンクスでした~

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2007.06.09

なんとなくテーマソングは「少年時代」

Turumi1所用を済まし、鶴見駅から自宅へ帰ろうとしたときにふと目に止まった「鶴見線→」の看板。
ヒマだったので横浜のマンガ喫茶で「げんしけん」の全巻制覇でもやるかと思っていたが、鶴見線制覇の方が面白そうだと思い鶴見線の中間改札を通り過ぎてみた。

鶴見線はもともと臨海部の埋立地での貨物輸送のために作られた路線で、場所が埋立地だけにもともとの地名が無く、駅名が安直な名づけられ方をしていることでも有名だ。
国道と交差しているから国道駅だとか、線路を作った明治のセメント王浅野総一郎からとった浅野駅、安田財閥創設者からの安善駅などなど。今じゃ地名にすらなっているものもあり、その歴史はなかなか興味深い。

Turumi2鶴見駅から4つ目にあるのが浅野駅。ここで海芝浦支線に乗り換えたのだが、海芝浦支線は昼間は1時間に1本というダイヤ。電車が来るまで小1時間ボケーっと過ごす。周囲は工場だけで人気が無く、お昼時だったからか時折工場から重機が動く音が聞こえてくるだけで本当に静かだ。猫がのんびり駅を歩いていたりして、なんだか地方のローカル線の駅にいるような感覚になってくる。

Turumi3ようやくやって来た3両編成の205系に乗って、およそ5分約1キロを海沿いに進んでいき、終点が海芝浦駅。この駅は改札を出ると東芝京浜事業所の入り口守衛所があり、関係者以外立ち入り禁止になっている。駅から出ることは出来るが、そこからはどこにもいくことが出来ない。そんな状況を東芝の人が思ってかどうかは判らないが、東芝が海芝公園という小さな公園を造った。入り口は改札(簡易suica端末)と守衛所の間にあり自由に入ることが出来る。公園の入り口には「片道切符で公園を利用することは出来ません」的なことが書いてあり、ここが駅構外であることを主張している。

駅に着くと、電車内でお弁当を広げる人や写真を撮る人などをチラホラと見かけた。海を眺めているだけで発車までの30分があっという間に過ぎていった。
このあと、浜川崎で南武支線に乗り換え、尻手経由で川崎、横浜と通って自宅へ。どれもこれも1時間に数本のダイヤなので、電車待ちの時間の方が乗っている時間より長いというのんびりした各駅停車の旅だった。

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2007.06.08

鉄をなめるな!

Rakkasei最近は鉄道ファンが何かと市民権を得てきている。私も4歳の頃、国鉄総武線稲毛駅脇の踏み切りで運転士に手を振って以来の鉄道ファンだが、マニアとかオタクには遠く及ばないなぁなどと思っている。
そんな私だが最近興味があったのが「鉄道大回りの旅」。これは、限られた地域内ならどんなに遠回りをしても最短距離の料金しか掛からないJRの運賃制度を利用したちょっとした遊びのこと。一筆書きとも言われるが、同じ駅を2度通ることは出来ないので、一筆書きとはちょっと違う。

Yokosukaという訳で、いつもは東海道線に乗る私は横須賀線に乗り一路千葉を目指す。小さい頃稲毛に住んでいたので、秋葉原に行くときはいつも103系総武線に乗っていった。今回総武線快速で千葉までいくと、当時あんなに時間が掛かっていた稲毛と都心があっという間だ。たたずまいが好きだった平屋の新検見川駅も、運転士に手を振っていた踏み切りも高架になって無くなってしまった。
111kei3千葉駅で成田線に乗り換え、成田駅に到着。ここで決定的なミスを犯す。成田駅で本当は我孫子に向かうつもりだったのだが、ホームに止まっている111系を見て飛び乗ってしまった。行き先の「銚子」も魅力的だったし。
で、単線をガタゴトと進みつつ今後のルートを考える。まだ乗ったことが無いタブレット区間を持つ久留里線乗りたいなぁ。。。でもあれは行き止まりで一筆書き出来ないからだめだなぁなどと思いながら銚子駅について驚くべき事態に直面した。銚子駅は鉄道大回りの旅が出来る限られた地域(大都市近郊区間)外で、ここまで来たら普通にお金を払わないと不正乗車になってしまうということを!お金持ってて本当に良かった!!
せっかくお金を払うなら銚子電鉄でも乗ってせんべい買うか!と思ったが、銚子発の特急しおさいが成東駅までは普通電車として運行されるとのこと。普通運賃でE257系500番に乗れるなら行くしかないでしょうと飛び乗った。
普通電車なのに車内販売があったりしてちょっとしたたび気分を味わううちに成東駅到着。
Narutouなんかドラマに出てくるような景色を堪能した。夏になったらセミの鳴き声とかでにぎやかになるのかなぁとか思うともう一度来たくなる駅だった。暇があればいつかここから外房線-内房線でぐるっと房総半島を一周したいなと思った。あと久留里線も乗りたいな。ここからは佐倉-千葉-曽我-東京-戸塚と帰る。なんだか大回り失敗なのでテンションがた落ち、お土産も千葉といえば落花生なのでそれだけ買って帰宅。
やはりあまりに無計画だと良くない。次は時刻表をよく精査し、乗り換え時間や駅弁購入もしっかり頭に入れて北関東を回りたいと思う。待ってろ!両毛線、八高線!!
それにしても房総半島が大都市近郊区間に入っていないとは…

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2006.05.15

鉄道趣味

昨日をもって神田の交通博物館は幕を下ろした。
新聞各紙やテレビでもその最後が取り上げられたのには驚いた。
閉鎖ではなく移転なのでそれほど感傷にひたる事も無いのかもしれないが、70年の歴史はそれほど重いと言う事なのか。
さいたまの鉄道博物館も楽しみだ。

それにしてもテレビや映画での「電車男」効果は凄いものがあった。
そもそも電車の中で酔っ払いから女子を救ったから”電車男”だったのに、いつのまにか電車男=鉄道ファンみたいになってしまった。

鉄道ファンの事を鉄ちゃんとも呼ぶ。
確かこの言葉は15~20年位前に生まれた言葉だと思う。
当時、警察無線の傍受マニアを、警察無線=ポリスチャンネルの意味からPch(ぴーちゃん)マニアなどと呼んでいた。
ここから消防無線=Fch、救急無線=Qchと言う言葉が生まれ、鉄道無線傍受マニアも鉄chと呼んでいたような気がする。

鉄ちゃんという愛称(?)がこれだけ広まったのは、少年の心を忘れない鉄道ファンに愛と親しみを込めてちゃん付けするというあたりだったんだろうなあ。

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2006.04.19

さようなら、そしてありがとう交通博物館

秋葉原にある交通博物館が、5月14日をもって閉館、移転する。
ここを初めて訪れたのはもう30年以上前になる。
私の鉄道ファンの礎を築いたここが無くなってしまうのは寂しいものだ。

という訳で、私の中の昭和総決算。
久しぶりに行ってみた。
Type0
30年前と変わることなく出迎えてくれる0系新幹線。
子どもの頃はこれを見ただけでワクワクしたものだ。
博物館の中も昔と何も変わっていない。
確かにパノラマ模型で走っている電車は、スーパービュー踊り子やE2系はやてがあったりスーパーレールカーゴがあったりと時代に即した車両編成となっている。
また、30年前には新幹線の子供だましなシュミレーターしかなかったが、今では蒸気機関車のD51、205系、209系、211系と多種多様なシュミレーターが揃っている。
しかし関門トンネルや筑後川橋梁の模型、各種信号、他にも2階3階にある船や飛行機の模型など昔のままだ。

さすがに閉館前だけあってものすごい人出。
平日だというのに小さなお友達だけでなく、中高生やスーツを着た大きなお友達(含む自分)まで大混雑。
シュミレーターは大学生の時に卒業(?)したので今回乗らなかったが、やっぱり見かける白手袋&指差し喚呼する大きなお友達。
友人にビデオを回させて「仕事サボって電車運転してま~す」とか言ってる。
まあ気持ちはよく判るので微笑返し。

今回わざわざ足を運んだのは、博物館の移転もあるのだが、それに伴って旧万世橋駅の遺構が特別に公開されるというのが大きな理由だ。
この交通博物館は、かつての中央線の終着駅万世橋駅に付随する施設として建てられ、その後万世橋駅が廃駅になったという経緯を持つ。
その駅の遺構が見られるというのでこんな平日の真昼間から秋葉原に来たのだが…

人気ありすぎ。
9時半に受付をして13時20分からの見学コースしか取れなかった。
11時前には当日受付は終了。

ひとまず時間までなつかしの展示品をぐるっと見て回る。
お、以前ネタにしたポスターが。
Koutuu02
左上囲みがポスター
ポスターではJAL旧旧旧塗装だが、模型では旧旧塗装のコンコルドが当時展示されていたらしい。

そんなこんなで見学集合の時間。
10数名が集まり、廊下の脇に有る職員専用出入口から裏手に入る。
そこが今では待避線に使われている高架の下になる。
Koutuu03
なんだか防空壕な雰囲気。
ちょっとカビ臭い匂いもする。
ここで交通博物館の成り立ちをちょっとした映画で学習。
いよいよ高架のホームへと続く階段へ。
Koutuu04
階段の滑り止めは戦時供出で剥がされたとか。
戦前戦中の建物ではよく聞く話。
壁のタイルはもちろん当時そのままで、横浜ラーメン博物館の鳴戸橋駅とはその存在感が違う。

当初、ホーム遺構まで出られるのかと思ったが、やはりそんな事は有り得なく、
Koutuu05
ガラス張りの内側からの見学だった。

今月末にはこのホーム遺構の隣にある待避線に先日引退した寝台特急出雲が展示されるというのでそれも必見だろう。

来年10月14日にさいたま市に新規オープンする鉄道博物館には、交通博物館の展示物も多く移転するらしい。
他にも実物車両の展示も充実するようだし、完成したら是非行ってみたい。

交通博物館、長い間本当にありがとう…と言いたい。
Koutuu01

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2006.03.29

鉄道乗りつぶし

こんなサイトを発見してしまったものだから、仕事そっちのけで入力。
結果、JRの約21%を乗りつぶしていた。

学生時代に行った鈍行ぐるり信越東北の旅や愛媛の松山まで新幹線と特急を乗り継いで行った旅が距離を稼いでくれたようだ。

鈍行ぐるり信越東北の旅は、行程管理を友人に丸投げしていた(機関車に引っ張られる客車に乗りたいとか我侭だけ言っていたような…)ので乗った経路もよく覚えていない。
で、「きっとここだよな」と思ったところを入力。

ちなみに私鉄乗りつぶし率は9%。
既に乗った路線を入力中、北海道ちほく高原鉄道という営業キロが140キロもある鉄道を発見。
うわー、乗ってみてーと思ったら今年の4月で鉄道事業を廃止
残念です。

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2006.03.27

子どものあこがれ 運転士

湘南新宿ラインに乗ったときの事。

先頭車両かぶりつきに乗ったのだが、途中からそばに2歳くらいのちびっ子を抱いたお母さんがやって来た。
ちびっ子は鉄ヲタ予備軍らしく、対向する成田エクスプレスや併走する東海道新幹線などを見てきゃっきゃきゃっきゃ大はしゃぎ。
お母さんも「ほら、あの赤い電車なんだろう?」とか「ほら、運転士さん格好良いね」(それはちびっ子的に?お母さん的に?)とノリノリ。

確かに最近の運転士は格好良い。
制服制帽姿も凛々しく、キビキビとした指差し喚呼からは安全運行の気概が伝わる。

私が鉄ヲタ予備軍だった頃。
そう、まだJRが国鉄と呼ばれ、地方では蒸気機関車がまだまだ現役で客車を引っ張っていた頃だ。

国鉄の運転士は怖かった。
開襟シャツに制帽は阿弥陀かぶり。(被っていない人も多数)
運転席にはなぜかスポーツ新聞や漫画が。
運転台にふんぞり返って、大股おっ開げてアゴをしゃくって信号を喚呼していたものだ。
夏などは運転室のドアを開けっ放しで走っているのもよく見かけた。

その後東急線沿線に引っ越してきた時は驚いた。
濃緑の制服に身を包む東急の運転士はみなスマートだった。
指差し喚呼も客室にうるさいくらいに響く。

だが、今思うとあのやさぐれた運転士が懐かしい。

「お仕事は何を?」「電車転がしてるヨ」( ´ー`)y-~~~ 

こっちの方が断然カッコいい。
もちろんちびっ子が運転席を覗き込んだ瞬間「バンッ!」と暗幕を下ろすのは仕様で。

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2006.03.23

新橋停車場

汐留にある旧新橋停車場に行ってみた。
日本最初の鉄道は、新橋横浜間を結んだ。
今ではそのどちらの駅舎も現存しない。
汐留地区の再開発に伴い、旧新橋駅(新橋停車場)跡が発掘され、同じ場所に駅舎が復元された。
simbashi駅舎は2003年に復元された新築ピカピカな建物。
その時点でちょっとがっかり。
さらに、全く同じ場所ではなく遺構の上にかさ上げして建てられているらしいく、それもちょっと残念。
これは遺構を保護する意味もあるのだろうからしようがないかも。

朝早かったので、中には入れなかったがレストランと展示室があるようだ。
当時の改札を再現とかだったら非常に魅力的だったかも。

ちなみに新橋駅と横浜駅は同じ構造だったらしい。
別意匠で建てるネタがなかったのか面倒くさかったのかは判らないが、古い横浜の絵に出てくる駅舎が東京にあるのも不思議な感じだ。

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2006.03.15

しつこく113系

たしか、113系は東海道線で4編成運用されていると思ったが、さすがに4編成だと乗る機会も限られる。
syounan
今日久しぶりに乗ったのだが、なんとヘッドマークが。
それにしても今日もカメラマンがたくさんいた。
しかし、みんな容赦なくフラッシュをたく。
フラッシュ禁止は最低限のマナーだと思うんだが…

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2006.03.14

さよなら113系

3月18日のダイヤ改正に向け、東海道線から消えてしまう113系を撮ろうとするマニアが増えてきた。
syounan駅の先端部にカメラを構えるのみならず、先頭車両のかぶりつきにビデオカメラをセットするつわものまで。

先日横須賀線で事故があってダイヤが乱れた時、E217系の運転席を見ていると、運転士が液晶タッチパネルを頻繁に操作していた。
そんな画面のない113系だったら得られない情報とかが表示されていたのだろうか。

以前踏切で車が立ち往生して防護無線の発報があったとき、非常ブレーキで停止したE231系は「非常ブレーキで停止します。ご注意ください」と自動でアナウンスが流れた。

細かいところで電車って進化してるんだなと思った。

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2006.02.12

エキナカビジネス

JR東日本が今後の収益の柱と考えている事業が三つあるという。

ひとつが言わずもがなの鉄道事業、ひとつがSuicaによる電子マネー事業、そしてエキナカ事業に代表される生活サービス事業だ。
エキナカ事業とはすなわちJR東日本の持つ最大の経営資源「駅」のもつ可能性を引き出す事業である。
具体的には大宮駅や品川駅で展開される「エキュート」といった駅の中(エキナカ)で展開されるファッションビル等がそれに当たる。

私はたまーに仕事で東京の田町に行くことがある。
田町までは電車で行くのだが、ひとつの楽しみに田町駅の立ち喰いラーメンがある。
その名も「ホームラーメン」。駅のホームでホームラーメン。名付け親と語り合いたい。
麺は冷凍。お湯に突っ込んで数秒で解凍。食券を出して30秒も待てばラーメンが出てくる。
これがまたジャンク感たっぷりで本当に旨い。

先日久しぶりに田町にいく用事ができ、ホームラーメンを楽しみに出かけた。
ホームに降り立ち、なんとなく違和感を感じる。
階段が新しい。嫌な予感がして階段を駆け上る。
登りきり、周りを見回して驚いた。全てが新しくなっている。
昔の痕跡、そしてホームラーメンを探そうと潤んだ瞳でキョロキョロするが、ホームラーメンの看板は見当たらない。
そして見つけたのがあじさい茶屋
udon
立ち喰いそばは確かに元祖エキナカ事業とも言えるけど、それはこんなきれいな店ではなくこんな店こそが立ち喰いそばと言えるだろう。

こんなことなら駅の外にあった「名代富士そば」に行けばよかった…
そう思いながらあじさい茶屋の月見うどんを食べたのであった。

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2006.01.22

雪の東海道

01年以来の降雪ということで、悪天候マニアの私はちょっとウキウキ。
仕事だったのだが、途中ちょっと寄り道をして写真を一枚。
ef210
EF210-1 東海道本線 横浜-戸塚

一度雪煙を上げて驀進する機関車の写真を撮りたかったのだが、まさか横浜で撮れるとは。
本当はもっと粘りたかったのだが、何しろ寒くて寒くて簡単に挫折。

この雪で、首都圏だけで270人以上の方が怪我をしたという。
日本海側の豪雪でいったい何人の方が怪我をされたかは判らないが、たった一日の雪で300人近く怪我をするのはとても不思議に思われるかもしれない。

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2005.12.07

鉄道会社の無料広報誌

高校時代、営団地下鉄(現東京メトロ)に乗る楽しみの一つに、券売機そばにおいてある広報誌のメトロニュースがあった。
沿線のグルメや歴史のコラムが面白く、またとても為になった。
鉄分の濃い友人はバックナンバーを集めていたが、そこまででない私も何かと楽しく読んでいた。

小田急の広報誌おだきゅうは表紙が凝った切り絵のデザインで、ある年の新年号が雪の多摩川を渡るロマンスカー10000系で、これがまたとても印象的な表紙だったので保存版にしていた覚えがある。

sotetsu今愛読しているのが相模鉄道の相鉄瓦版
これがまた無料とは思えない充実ぶり。
みうらじゅんとか片山右京などのビッグネームがゲストコラムニストとして巻頭を飾る。

で、今月はラーメン特集でラーメン王として名高い石神秀幸がラーメン好きには興味津々なコラムを書いている。
また中華街の名製麺所永楽製麺所の会長が寄稿したりしていて読み応えあり。

相鉄自身が「相鉄瓦版は相鉄線にご乗車いただいている間(横浜~海老名駅・31分)に読み切れるボリュームが好評」と謳うだけあり、移動時間の暇つぶしにはもってこいでやめられない。
出来れば週刊にして欲しいくらいだ。

(文中敬称略)

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2005.11.23

はじめてのリニアモーターカー

リニアモーターカーといえば中央高速大月ジャンクションのそばに見える山梨実験線を思い浮かべる人は多い。
また、今年の話題をさらった愛・地球博で活躍し、現在普通に営業運転をしているリニモも有名だ。

しかし、リニアモーターカーは地下鉄で様々なところで活躍している。
日本初の地下鉄リニアの大阪の地下鉄鶴見緑地線、東京でも地下鉄大江戸線はリニアモーターカーだ。
この地下鉄がなぜリニモに比べ騒がれないかと言うと、「浮かない」からだ。
リニモは日本初の磁気浮上式リニアモーターカーだ。ちなみに世界初はイギリスのバーミンガムで走ってるらしい。

浮いても浮かなくてもリニアはリニア。
subwayそんなリニア地下鉄の1つ、福岡市地下鉄七隈線に乗った。
この地下鉄は今年の2月に開業したばかりのピカピカ路線。
駅も電車も新品だ。
車内も広々としてとても暖かい感じがする。
そして驚いたのが客室と乗務員室の壁が無い!
鉄な方々には天国だ。
これなら子供が紛れ込んでもすぐ追い出せる…
それにしてもあまりにもフレンドリー。運転士の方は緊張しないのだろうか。

車両メーカーのホームページをみても、その先進的なデザインや取り組みが良く判る。

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2005.10.24

横浜市営地下鉄に新型車デビュー

横浜本牧駅というJR貨物系の鉄道会社が持つ貨物駅がある。

3000sこの駅(と言っても駅舎があるわけではない)の脇を走っていてこんなのを発見。
横浜市営地下鉄に10月28日デビューする3000S形だ。
この車両は、約20年前デビューした2000形の台車・機器類を流用しボディーを新造しバリアフリーや耐火性を向上させたもの。
たぶん日本車両豊川製作所で作られ、鉄路はるばる本牧まで運ばれてきたのだろう。
ここから深夜トラクタに牽引されて港南区にある上永谷新羽車両基地に運ばれるのか?。

それにしても最近いたるところで見かけるJR東日本E231系電車を見慣れたせいかとってもレトロな雰囲気がする。
私鉄でもE231系を基にした新型車両が増えていて、相鉄や東急では今後主流になっていくだろう。
また首都圏大手私鉄の標準車両にもなるようで他私鉄に広がるのも時間の問題かも。

私が小学生の頃は東急沿線に住んでいたこともあり、私鉄といえばステンレスの銀色が標準色だった。
それが遠出した時などに小田急線のクリーム色や西武線の黄色の車両を見るとそれはそれは激しい違和感を感じたものだ。

まー標準化が進めば車両価格も安くなり、また消費電力が少ないのでCO2の排出量も減って環境にも配慮している。
つまりお財布にも環境にも優しいので、普及すれば結局我々にも優しいということ。

これから導入する各社は、せめて前面だけでも独自の意匠を凝らしてオリジナリティーをアピールして欲しい。

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2005.10.20

国鉄の郵便車

所用で久しぶりに上京し、さきごろ鳴り物入りでオープンした品川駅の中にあるショッピングゾーンを覗いてみた。
いわゆる「駅中(エキナカ)」にあるエキュート品川
何しろ駅の中にあるので、乗り継ぎの途中に改札を出ないで寄れるのは便利。
というか、そんなものよりも面白いものを発見。
kumoyuni
品川駅といえば山手線の起点でもあり、山手線の0キロポストがある。
ちなみに右横に書いてあるのは「品鶴線(ひんかくせん)」の0キロポスト。
品鶴線とは東海道線から品川駅で分離し鶴見駅につながる、いわゆる横須賀線。

そのポストと郵便ポストを引っ掛けたのか、郵政公社設置の郵便ポストがコレ。

で、このポスト。
パッと見は普通の東海道線だが、
kumoyuni1
側面を見るとクモユニ74…!
今は無き郵便荷物車だ。
かつて高速道路網が無かった時代、今のトラック輸送は鉄道輸送がその任を担っていた。
ターミナル駅で郵便物を積み込んだ郵便荷物車は車内で仕分け作業をしながら全国各地に散らばっていったのだ。

497a-11WEB2
現役当時の姿がこちら(出典:1970’~ モノクロ写真カタログ”旧形国電の記録”
しかし、コレをデフォルメして郵便ポストを作るあたり相当鉄分が濃い。
所属の東トウやATS-S表記、車輪など「なにもそこまで…」感がたまらない。

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2005.10.09

赤い電車

最近のお気に入りの赤い電車。
ネットで見られるPVを発見。
こちらの"赤い電車"ビデオクリップをクリック!
もう京急マニアのみならず鉄な方々も満足させるビデオクリップといえる。
京急三崎口駅から品川駅までのかぶりつき画像を約5分で一気に見せる。
多摩川を渡るところで夜景になるところや曲中の「ドレミファインバーター」と景色を同期させたりと見所満載。
停車駅を見ると特急で撮影してるっぽいけどなぜか神奈川新町駅は通過している。

京浜東北線から見ていつも気になって